2016年10月4日火曜日

愛の神秘



人が恋に落ちるとき。
その姿をふと目にした瞬間、あなたは恋に落ちます。
恋に落ちたら、その声を聴きたくなります。
その声を聴いたら、その人の匂いを確かめたくなります。
そしてその次に、その人を味わいたくなります。
そして、その人に触れたくなります。
五感が満足したら、心をひとつにしたくなります。
そして次に、感情を共有したくなります。
どんな時にも、どんなレベルにおいても、衝突が起こることを望みません。
心と感情をひとつにすることはなま易しいことではないので、あなたは気を付けたり、気を使ったり、様々な努力をします。ところが、体も心も感情も全部差し出したのに、どうしてもまだ距離感が埋まらないと感じるのはなぜなのでしょう?



それが愛の痛みです。

もうこれ以上差し出すものは何もありません。
もしあなたが誰かを愛したら、必ず限界点がやってきます。
私は私のすべてを捧げているのに、あなたもあなたのすべてを与えてくれているはずなのに、それでもまだ互いに何か隠し持っている・・・・・・・・





それは、あなた自身。あなたの自我。あなたのエゴです。

それすらも差し出すようにと愛は要求しはじめます。しかし、この要求はあまりにも行きすぎです。あなた自身を差し出してしまったら、誰が恋のゲームを楽しむことができるというのでしょう?

こうしてジレンマが始まります。愛が、ついには死のように感じられるようになると、あなたは逃げ出し、新しい恋を見つけに行きます。そして、新しい恋人と一からやり直すのです。体を捧げ、心を、感情を、お金を、時間を、エネルギーを捧げ、ある地点にくると、再びあの要求がやってきます。あなた自身を捧げるように、と。
あなたが「これが自分なのだ」と今まで認識してきた自分自身。あなたはこの小さな自我を失いたくありません。

体を許したのだから、あなたを頂戴。心を明け渡したのだから、あなたを頂戴。あなたのために時間を使い、お金を使い、エネルギーを使ったのだから、あなたを頂戴。私をあなたに捧げてきたのだから、あなたを頂戴。
この要求が頂点に達したとき、そしてあなたが相手を得られないとわかったとき、愛は失落します。
もし、あなたが「高尚な愛」を知らなければ、コストとリスクの割にはリターンが少ないと、投資家のように損得勘定に引きずり込まれるだけです。




ところで、結婚すると、女性の姓が変わるのはなぜだかご存知ですか?

結婚によって、夫が十分なお金、暮らし、安全を妻に保証することで、妻は自分のアイデンティティーをなくし、親から受け継いだ姓を失います。それが、結婚して、夫側の姓になることの意味です。妻は、夫の家の家族の一員になるという、結婚の意味を象徴しています。
妻が自分自身を失い、完全に夫のものになった途端、おもしろい現象が起こります。夫の全財産は、全てを失ったように見えた妻のものになるのです。

ところが、結婚はただの儀式になってしまい、本当の意味を意識されることはありません。妻は、結婚後も自分自身のアイデンティティーを守ろうとします。夫に同化することはありません。
最近では、結婚後も姓を変えたがらない女性が増加しています。インドでも、結婚後の姓と結婚前の姓のふたつを名乗ることがブームになっています。


愛が無意識に基づいていれば、いつか必ず終わるときがきます。女性が体を許すとき、たいへんなエゴが彼女を支配しているのです。他の男たちがどんなに欲しがっても、決して肌を見せることはなかった。あなたにだけよ。
そして、彼女は、心を差し出し、感情を差し出し、ハートを男性に差し出しますが、愛は無情にもあなた自身を差し出すように迫ります。肉体でもお金でも、時間でもエネルギーでもなく、あなた自身を。

それは、死を意味します。それが愛の苦さです。
恋愛というゲームの前半は甘やかで、後半は情け容赦のない死です。それはあまりにも辛くて苦いので、頭は理解できません。愛の甘い蜜の部分だけを求めて、ひらひらと花から花へ飛び回る人がほとんどです。


肉体、心、自我。形あるものを超えて、愛はやがて神秘的な側面を見せ始めます。愛には物質的な側面とスピリチュアルな側面があるのです。愛とは、肉体と魂、ふたつの世界を結びつけるもっとも神秘的な現象です。


それにしても、愛が、自我を差し出すように要求するのはどうしてなのでしょう・・・・・・・?


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